現在、集会のまとめ役をしている下山由紀子です。

東京生まれの首都圏育ち。小学校時代に転校したことが幸い(?)していじめに遭い、長引く状況に鬱屈した心をバッハの音楽で慰めていたことが影響したのか次第にキリスト教に興味を持ち、高校の頃に教会へ。

洗礼を受けた純福音派教会に4年、その後、日本キリスト教会横浜海岸教会(長老・改革派)へ移籍。

1990年にスペイン・バルセロナに渡り、スペイン語を学習しながらアンダルシア、サラマンカにも居住し、バルセロナ五輪でふたたびバルセロナに戻って通訳・事務職に従事。この頃にバルセロナ聖書研究会に出会いました。

1995年、スペイン人の夫と結婚し、それまでの主催者がバルセロナを転出することになったため、後を継いで集会主催者に転身。以来、毎月1度のペースで自宅を開放し、集会の連絡係に徹しています。1女の母。

趣味は 旅(特に田舎の方)、音楽鑑賞、読書

仕事は医療通訳 (スペイン人の医師との会話を通訳する仕事)です。病気になってしまったらご一報ください。お手伝いします

現在はバルセロナ市内にあるバプテスト派教会の礼拝に毎週参列しています。どうぞよろしく!


《 証 》

しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、私は血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ。

エゼキエル書を読み進んで16章まできたとき、5〜6節の言葉に私の胸は貫かれました。生まれるなり捨てられた子が自分の血にまみれてもがいている。その傍らを主が通ってご覧になり、「生きよ」と言われたくだりです。『わたしは血まみれのお前に向かって「生きよ」と言ったのだ』という文章が2度繰り返され強調されています。私に思い当たる節がありました。

小学校3年で千葉から横浜に引っ越すまで底抜けに明るく積極的で自信に満ちた少女だった私は、横浜でも同じように振舞いました。しかし都会っ子のクラスメート達は私が親から受け継いだ地方の言葉を種に、私を笑いました。この嘲笑を気にした私は萎縮して徐々にものが言えなくなり、言い返せない私を周囲は更に利用し、ついに本格的ないじめへと発展してしまいました。

嘲笑、暴力、盗み、侮辱などに苦しむ毎日でしたが、挨拶をしても誰も返してくれない、話かけても誰も相手になってくれない、無視という精神的な暴力がとてもつらい毎日で、自分が存在価値のない者だと思うようにすらなりました。私は常に友達を切望しながらも級友達を恨んでいました。

親も先生も理解してくれないこの苦しみから逃れるためにわざわざ学区外の高校に入って新しいスタートを切ったものの、私はすっかり対人恐怖症になっていたので、クラスメートはしばらくして私を遠ざけ気味悪がるようになりました。ここに来てはじめて、いじめの原因は私自身にあると察知し、恨むべきはクラスメートではなく自分になりました。

存在価値のない私が自分を恨みつつ生きている意味はない。自殺願望は日に日に増すばかりでしたが実行する勇気も出せないまま、私は私が出血した心の血の中でもがいていたのでした。

そんなある日、級友のひとりが学校で発熱し、私は保健室に走っていって彼女のために何かを探しました。冷たい水で濡らしたタオルを彼女に持っていったとき、彼女は私に「ありがとう」と言ってくれました。そしてこの言葉は私を心底打ちのめしました。こんな暖かい言葉はもう何年もかけられていなかったからです。

自分にも人に感謝される価値がある。

この時以来、私はこの喜びを求め、「仕えて生きる」がテーマになり今に至っていますが、先日このエゼキエル書を読んだとき、そうだったのかと稲妻に打たれた思いでした。あの時、主が血まみれの私の傍らを通って「生きろ」と仰ったのだ、あれは神の業だったのだとはっきり自覚したのでした。主の御名を心から賛美します。 (下山 由紀子)

この証は当集会の月報No.25(2006年12月号)に掲載させていただいたものをここにご紹介しました。
もうひとつの証は、2007年12月2日のブログに掲載いたしました。